釜の旅
　　　　　　それから一年余月のち、母は死んだ


　みぞれびじょぴじょに港わたり
　奥座敷のなかほどに母親顔蒼くよう帰りんさいたとよろこぷ
　縁側の涙びかりにおれはただいま帰ってきたでとかしこまる
　けれども母髪白くしてばらぱらにそれでもやっとのこと起きて櫛にてすく
　幾年ぶりの日々をひとつひとつしゃがみこみ死ぬるでなあぞと爪畳におしつ
　けながい想い膝に凍えてこの山陰の板の間びかりに父は寡黙の背をこごめ
　母親ほそくよこたわりうめく

　やがて閉じた八畳間にかしこまってすわると体躯うごきだし列島をいまきた
　みちを逆へ東方へとめざそうとする

　おれはたちあがり黒い格子戸をあけ浜辺へでかける
　海はびじょびじょに少年のときを映えてうかび網からむ海藻のにおいにふい
　に流浪が喉をおし幽門におちこみ内臓が濡れびかりそこで魚がよみがえるの
　をきく
　なぜここをにげだしていったのだ

　首をあげると湾を船がでかけていく
　すると沖を電車がむかってくる波をたてて電車がはってくる階段をかけあが
　る足音がひろがりドアがあくおれはいかねばならない肩がぶつかりあいおさ
　れてああベルが鳴っているおれはいかねばならぬ網が引かれ定期券がひかかり
　魚がとびはね吊革がゆれ櫓がきしみ船が転ぷくするベルが鳴っているおれはい
　かねばならない海藻がからみ広告ビラがまいあああのようにベルが鳴 ている
　だれかきてくれおれはいかねばならぬ

　けれどもみぞれがはげしくておれは浜辺を帰ってくる
　すると静脈をたてて父はたきぎを割り風呂へ入れという
　母親はふとんのうえで髪をすいている
　おれは風呂釜につかる
　ぬるうないかと外できくいいやとこたえる
　じゃがちいとたいてやると父は釜をたく奥でかぜひかんようにと母親がいう
　背中を親がたちのぼってくるおれは皮膚をみている幼児のように染まり初め
　てのように色ずいていく
　やがて体躯湯気のなかを縮小しはじめるおれの日々はこうしてながながと
　釜から遠く列島を奔走しているがこうして乳びたしの湯にみんな釜のなかの
　旅にしかみえぬとおもえてするとふいになぜか叫びがやってきそうになるあ
　あまた電車がはいってくるレールがのびている母親が充ちてくるああベルが鳴
　っている脱けよ出るのだ叫びがあがってくる釜をでよおれは腕をかける乳びた
　しの脚をたてる


 




青海島大越海岸